2008年11月11日火曜日

一一

 このごろ与次郎が学校で文芸協会の切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である。与次郎はそれから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授はハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館へはいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影《うしろかげ》を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。
 与次郎に切符の販売方《はんばいかた》を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場にはいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫《だいじょうぶ》だ、なかには義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それから腸カタルも少しはできるだろうと言って、すましている。
 与次郎が切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面《きちょうめん》にわずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益だからこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本で百科全書を売った方法に比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。
「相手は東京帝国大学学生だよ」
「いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」
「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまりは協会の借金になることは明らかだから」
 三四郎は念のため、それは君の意見か、協会の意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会の意見であるとつごうのいいことを答えた。
 与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎は講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般の空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰《めいせき》に区別が立たないものだから、相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。
 与次郎は第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日|前《ぜん》に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為の青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆《ぎりょう》を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。
 与次郎は広田先生と原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮|兄妹《きょうだい》と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎は与次郎のために演芸会万歳を唱えた。
 万歳を唱える晩、与次郎が三四郎の下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢《ひばち》のそばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手《ふところで》になった。三四郎は与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端《はじ》から端へ移した。ところが与次郎は顎《あご》をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯《ひ》に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。
「この家《うち》ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。
「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、
「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。
 一応|理由《わけ》を聞いてみる。与次郎は懐《ふところ》から皺《しわ》だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳《たた》み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出しに大学の純文科とある。
 大学の外国文学科は従来西洋人の担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人の講義も必須《ひっす》課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当の人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々《きんきん》発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才だから至極適任だろうという内容である。
「広田先生じゃなかったんだな」と三四郎が与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。
「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。
「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。
「しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから」
「いや、それだけならむろんかまわない。先生の関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題《みだし》を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。
 今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学の教師をして、世間には杳《よう》として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人の外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布《るふ》した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇《くらやみ》」などという論文を小雑誌《こざっし》に草せしめた。この論文は零余子《れいよし》なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学生小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎の名前が出て来た。
 三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人《ふたり》ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、
「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。
「君、これをどう思う」と言う。
「どう思うとは」
「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字はほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘《うそ》が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題が動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質《たち》のよくないのは、たいてい屑籠《くずかご》へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」
「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」
 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから、
「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である。
「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎と署名しておけばよかった。じっさいあの論文は佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」
 与次郎はまじめである。三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。
「君、先生に話したか」と聞いた。
「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生の人格に関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああいう先生だから、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文は雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから御安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑な状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」
 三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。
「先生は新聞を読んだんだろうか」
「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しかし先生は学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」
「すると、もう知ってるな」
「むろん知ってるだろう」
「君にはなんとも言わないか」
「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいだから演芸会の事でしじゅう奔走しているものだから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居《しばい》なんかやったって、何がおもしろいものか」
「先生に話したら、君、しかられるだろう」
「しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生は道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生の哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大《ばくだい》なものである。
「煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁《ご》を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」
 与次郎はそれで腕組をした。
「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」
「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」
「君はあやまる必要はない」
「じゃ弁解してくる」
 与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やすい心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。
 夜中《よなか》からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶《あいさつ》のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。
 暖かい汁《しる》の香《か》をかいでいる時に、また故里《ふるさと》の母からの書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴《はかま》をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外《そと》は薄い霜で光った。
 通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降《しもふ》りの外套《がいとう》を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍《たいご》に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤《アナクロニズム》である。左右前後に比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘《からかさ》のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台の時計は常に狂っている。もしくは留まっている。
 門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音《おん》がする。
 学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外《そと》へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義のあいだに懐から母の手紙を出して読んだ。
 この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校が休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様《いなりさま》へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しかし手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注《わりちゅう》みたようなものがついている。お光さんは豊津《とよつ》の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工《だいく》の角三《かくぞう》が山で賭博《ばくち》を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人|連《づれ》で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家《うち》へ帰って、女房にいつのまに取られたかわからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから、東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡《くんかい》がついている。
 長い手紙を巻き収めていると、与次郎がそばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、
「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。
「里見のお嬢さんからじゃないのか」
「いいや」
「君、里見のお嬢さんのことを聞いたか」
「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下《した》に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。
 与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである。先生は茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着《こよぎ》が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である。勉強が佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心《かんじん》の与次郎は学校で取り逃してしまったからしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっとも与次郎の心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。
 三四郎は長火鉢《ながひばち》の前へすわった。鉄瓶《てつびん》がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女|部屋《べや》へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪《つめ》で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗《ちゃわん》についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。
 三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人は薔薇《ばら》を affect《アッフェクト》 すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth《アマランス》 を用いると書いてある。これも明瞭でない。しかし花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物を自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後に広田先生は必竟《ひっきょう》ハイドリオタフヒアだと思った。
 そうすると、広田先生がむくりと起きた。首だけ持ち上げて、三四郎を見た。
「いつ来たの」と聞いた。三四郎はもっと寝ておいでなさいと勧めた。じっさい退屈ではなかったのである。先生は、
「いや起きる」と言って起きた。それから例のごとく哲学の煙を吹きはじめた。煙が沈黙のあいだに、棒になって出る。

「ありがとう。書物を返します」
「ああ。――読んだの」
「読んだけれどもよくわからんです。第一標題がわからんです」
「ハイドリオタフヒア」
「なんのことですか」
「なんのことかぼくにもわからない。とにかくギリシア語らしいね」
 三四郎はあとを尋ねる勇気が抜けてしまった。先生はあくびを一つした。
「ああ眠かった。いい心持ちに寝た。おもしろい夢を見てね」
 先生は女の夢だと言っている。それを話すのかと思ったら、湯に行かないかと言いだした。二人は手ぬぐいをさげて出かけた。
 湯から上がって、二人が板の間にすえてある器械の上に乗って、身長《たけ》を測ってみた。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。
「まだのびるかもしれない」と広田先生が三四郎に言った。
「もうだめです。三年来このとおりです」と三四郎が答えた。
「そうかな」と先生が言った。自分をよっぽど子供のように考えているのだと三四郎は思った。家へ帰った時、先生が、用がなければ話していってもかまわないと、書斎の戸をあけて、自分がさきへはいった。三四郎はとにかく、例の用事を片づける義務があるから、続いてはいった。
「佐々木は、まだ帰らないようですな」
「きょうはおそくなるとか言って断わっていた。このあいだから演芸会のことでだいぶん奔走しているようだが、世話好きなんだか、駆け回ることが好きなんだか、いっこう要領を得ない男だ」
「親切なんですよ」
「目的だけは親切なところも少しあるんだが、なにしろ、頭のできがはなはだ不親切なものだから、ろくなことはしでかさない。ちょっと見ると、要領を得ている。むしろ得すぎている。けれども終局へゆくと、なんのために要領を得てきたのだか、まるでめちゃくちゃになってしまう。いくら言っても直さないからほうっておく。あれは悪戯《いたずら》をしに世の中へ生まれて来た男だね」
 三四郎はなんとか弁護の道がありそうなものだと思ったが、現に結果の悪い実例があるんだから、しようがない。話を転じた。
「あの新聞の記事を御覧でしたか」
「ええ、見た」
「新聞に出るまではちっとも御存じなかったのですか」
「いいえ」
「お驚きなすったでしょう」
「驚くって――それはまったく驚かないこともない。けれども世の中の事はみんな、あんなものだと思ってるから、若い人ほど正直に驚きはしない」
「御迷惑でしょう」
「迷惑でないこともない。けれどもぼくくらい世の中に住み古した年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思い込む人ばかりもないから、やっぱり若い人ほど正直に迷惑とは感じない。与次郎は社員に知った者があるから、その男に頼んで真相を書いてもらうの、あの投書の出所《でどころ》を捜して制裁を加えるの、自分の雑誌で十分|反駁《はんばく》をいたしますのと、善後策の了見でくだらない事をいろいろ言うが、そんな手数《てかず》をするならば、はじめからよけいな事を起こさないほうが、いくらいいかわかりゃしない」
「まったく先生のためを思ったからです。悪気じゃないです」
「悪気でやられてたまるものか。第一ぼくのために運動をするものがさ、ぼくの意向も聞かないで、かってな方法を講じたりかってな方針を立てたひには、最初からぼくの存在を愚弄《ぐろう》していると同じことじゃないか。存在を無視されているほうが、どのくらい体面を保つにつごうがいいかしれやしない」
 三四郎はしかたなしに黙っていた。
「そうして、偉大なる暗闇なんて愚にもつかないものを書いて。――新聞には君が書いたとしてあるが実際は佐々木が書いたんだってね」
「そうです」
「ゆうべ佐々木が自白した。君こそ迷惑だろう。あんなばかな文章は佐々木よりほかに書く者はありゃしない。ぼくも読んでみた。実質もなければ、品位もない、まるで救世軍の太鼓のようなものだ。読者の悪感情を引き起こすために、書いてるとしか思われやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立っている。常識のある者が見れば、どうしてもためにするところがあって起稿したものだと判定がつく。あれじゃぼくが門下生に書かしたと言われるはずだ。あれを読んだ時には、なるほど新聞の記事はもっともだと思った」
 広田先生はそれで話を切った。鼻から例によって煙をはく。与次郎はこの煙の出方で、先生の気分をうかがうことができると言っている。濃くまっすぐにほとばしる時は、哲学の絶好頂に達したさいで、ゆるくくずれる時は、心気平穏、ことによるとひやかされる恐れがある。煙が、鼻の下に※[#「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31]徊《ていかい》して、髭《ひげ》に未練があるように見える時は、瞑想《めいそう》に入る。もしくは詩的感興がある。もっとも恐るべきは穴の先の渦《うず》である。渦が出ると、たいへんにしかられる。与次郎の言うことだから、三四郎はむろんあてにはしない。しかしこのさいだから気をつけて煙の形状《かたち》をながめていた。すると与次郎の言ったような判然たる煙はちっとも出て来ない。その代り出るものは、たいていな資格をみんなそなえている。
 三四郎がいつまでたっても、恐れ入ったように控えているので、先生はまた話しはじめた。
「済んだ事は、もうやめよう。佐々木も昨夜ことごとくあやまってしまったから、きょうあたりはまた晴々《せいせい》して例のごとく飛んで歩いているだろう。いくら陰で不心得を責めたって、当人が平気で切符なんぞ売って歩いていてはしかたがない。それよりもっとおもしろい話をしよう」
「ええ」
「ぼくがさっき昼寝をしている時、おもしろい夢を見た。それはね、ぼくが生涯《しょうがい》にたった一ぺん会った女に、突然夢の中で再会したという小説じみたお話だが[#「お話だが」は底本では「お話だか」]、そのほうが、新聞の記事より聞いていても愉快だよ」
「ええ。どんな女ですか」
「十二、三のきれいな女だ。顔に黒子《ほくろ》がある」
 三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。
「いつごろお会いになったのですか」
「二十年ばかりまえ」
 三四郎はまた驚いた。
「よくその女ということがわかりましたね」
「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議でいい。ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子をかぶって。――そうその時はなんでも、むずかしい事を考えていた。すべて宇宙の法則は変らないが、法則に支配されるすべて宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物のほかに存在していなくてはならない。――さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に会った。行き会ったのではない。向こうはじっと立っていた。見ると、昔のとおりの顔をしている。昔のとおりの服装《なり》をしている。髪も昔の髪である。黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分で不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」
「それからどうしました」と三四郎が聞いた。
「それから君が来たのさ」と言う。
「二十年まえに会ったというのは夢じゃない、本当の事実なんですか」
「本当の事実なんだからおもしろい」
「どこでお会いになったんですか」
 先生の鼻はまた煙を吹き出した。その煙をながめて、当分黙っている。やがてこう言った。
「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。いくつかな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。ぼくは高等学校の生徒であった。大臣の葬式に参列するのだと言って、おおぜい鉄砲をかついで出た。墓地へ行くのだと思ったら、そうではない。体操の教師が竹橋内《たけばしうち》へ引っ張って行って、道ばたへ整列さした。我々はそこへ立ったなり、大臣の柩《ひつぎ》を送ることになった。名は送るのだけれども、じつは見物したのも同然だった。その日は寒い日でね、今でも覚えている。動かずに立っていると、靴《くつ》の下で足が痛む。隣の男がぼくの鼻を見ては赤い赤いと言った。やがて行列が来た。なんでも長いものだった。寒い目の前を静かな馬車や俥《くるま》が何台となく通る。そのうちに今話した小さな娘がいた。今、その時の模様を思い出そうとしても、ぼうとしてとても明瞭に浮かんで来ない。ただこの女だけは覚えている。それも年をたつにしたがってだんだん薄らいで来た、今では思い出すこともめったにない。きょう夢を見るまえまでは、まるで忘れていた、けれどもその当時は頭の中へ焼きつけられたように熱い印象を持っていた。――妙なものだ」
「それからその女にはまるで会わないんですか」
「まるで会わない」
「じゃ、どこのだれだかまったくわからないんですか」
「むろんわからない」
「尋ねてみなかったですか」
「いいや」
「先生はそれで……」と言ったが急につかえた。
「それで?」
「それで結婚をなさらないんですか」
 先生は笑いだした。
「それほど浪漫的《ロマンチック》な人間じゃない。ぼくは君よりもはるかに散文的にできている」
「しかし、もしその女が来たらおもらいになったでしょう」
「そうさね」と一度考えたうえで、「もらったろうね」と言った。三四郎は気の毒なような顔をしている。すると先生がまた話し出した。
「そのために独身を余儀なくされたというと、ぼくがその女のために不具にされたと同じ事になる。けれども人間には生まれついて、結婚のできない不具もあるし。そのほかいろいろ結婚のしにくい事情を持っている者がある」
「そんなに結婚を妨げる事情が世の中にたくさんあるでしょうか」
 先生は煙の間から、じっと三四郎を見ていた。
「ハムレットは結婚したくなかったんだろう。ハムレットは一人しかいないかもしれないが、あれに似た人はたくさんいる」
「たとえばどんな人です」
「たとえば」と言って、先生は黙った。煙がしきりに出る。「たとえば、ここに一人の男がいる。父は早く死んで、母一人を頼りに育ったとする。その母がまた病気にかかって、いよいよ息を引き取るという、まぎわに、自分が死んだら誰某《だれそれがし》の世話になれという。子供が会ったこともない、知りもしない人を指名する。理由《わけ》を聞くと、母がなんとも答えない。しいて聞くとじつは誰某がお前の本当のおとっさんだとかすかな声で言った。――まあ話だが、そういう母を持った子がいるとする。すると、その子が結婚に信仰を置かなくなるのはむろんだろう」
「そんな人はめったにないでしょう」
「めったには無いだろうが、いることはいる」
「しかし先生のは、そんなのじゃないでしょう」
 先生はハハハハと笑った。
「君はたしかおっかさんがいたね」
「ええ」
「おとっさんは」
「死にました」
「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」

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